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今年度の「日本文学特講A」は、夏目漱石の「文学」について考える内容でした。初めに斎藤先生は、「言葉の表現を考えていく授業。漱石を素材にして、そこからどんな問題を取り出せるか」と仰いました。
漱石は、ロンドンに留学をし、帰国後は英語教師をしていました。つまり、英文学について高い教養をもっています。一方、漢文学にも慣れ親しみ、『草枕』には、いたるところに、漢詩文や、古典が鏤められています。また『明暗』執筆時には、毎日のように、漢詩を作っていました。そんな漱石が、日本の近代化に伴い、漢文学の修辞法から脱却するまでの道のりを考えていきました。その道のりで漱石は、様々な「しかけ」を作品に散らばしています。実際に、漱石の作品『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『薤露行』『草枕』『虞美人草』『それから』『彼岸過迄』『明暗』、また、個々の作品の先行研究論文を参考にしながら、議論を深化させていきました。
その中でも主に、『それから』における「赤色」の象徴、『坊っちゃん』の「おれ」という人称と語り、『薤露行』の絵画的要素、『明暗』における家制度と愛、などについて取り上げて行きました。また、『虞美人草』小野さんが藤尾ではなく小夜子を選んだ点と、後年の作品『それから』の代助が三千代を選んだ点を対比、検討を行いながら、漢文的なものの扱いについても考察していきました。
講義中、『草枕』に登場する、ミレーの「オフィーリア」や、『薤露行』の口絵を見ました。また、『明暗』において、漱石が下敷きにした作品、ヘンリー・ジェイムズの『黄金の盃』との比較や、漱石が、晩年に実際に作った漢詩を読む等、作品を読むだけではなく、その周辺資料を見ながら、様々な方向から作品を考察していきました。
また、斎藤先生は「作家は、考えながら、作品を書いていく。すべてにおいて、先にモチーフがあるのでなく、書いていくうちに、作家自身がモチーフを発見する場合もある」とよく仰っておられました。私自身、作家の共通性を見出して、あたかも初めからこの問題について書きたかった、と思ってしまいますが、先に問題意識があったかは分からないため、安易に問題視しないように気を付ける必要があると実感しました。
今回の講義は、机をロの字型にし、お互い受講生の顔が見渡せる状態で進められました。受講生から意見、疑問点を掬い上げ、それに対して、斎藤先生は、丁寧に解説をされ、発展させ、議論を深められました。それにより、他の受講生の意見を聞けて、とても参考になりましたし、また思いもよらない問題を考えさせられました。
漱石に対する知識も増え、今まで分からなかったり、見えなかった漱石の「しかけ」をいくらか知ることが出来、今後、私自身の漱石作品に対する見方も変わっていくと思います。
今まで知らなかった文学の読み方や、言葉の捉え方を学び、漱石について考えさせられた、実りの多い四日間でした。
今年度の日本文学特講Bは、大阪大学から飯倉洋一先生をお迎えして、近世を代表する作者のひとりである上田秋成の世界を通して江戸時代の文学のありかたを学びました。
まず、飯倉先生は村上春樹と上田秋成の作品を比較し、秋成が描く現実の中での人との「かかわり」の不可能性に春樹が共鳴したのではないかと指摘されました。第三者が現れることで不可能になる二者間の「他者とかかわることの困難さ」、「自分は何者であるか」という問いの解決を異界にいる人とのコミュニケーションに求める、そんな秋成の考え方から講義は彼の喪失の人生に及びました。秋成は、自分が孤児、不遇、孤独であることを自己語りします。「喪ったものを補填する為に秋成は作品を書き続けたのではないか」、失い続け、捨て続けながら、その都度新境地を開拓し、作品を生み続けた秋成の人生と作品たちはきり離せないものだとわかりました。それから文学史的事項にも触れつつ、『雨月物語』、『ぬば玉の巻』、『文(ふみ)反古(ほうご)』、『胆大心小録』、『春雨物語』など秋成の作品のうちいくつかから論を展開されました。
第一印象ではとっつきにくそうなイメージがあった飯倉先生ですが、講義が始まると時おり関西弁でジョークを交えられるなど、終始なごやかなムードでリラックスして講義に臨むことができました。
日ごと最後の講義で提出するリアクションペーパーの質問では翌日いくつか取り上げて紹介、解説をしていただきましたが、三、四年生の先輩方がどのような着眼点をもって授業を受けているのか、鋭い意見や質問に刺激を受けました。異キャンパス履修、そして集中講座ならではの体験ができたと思います。
打ち明けてしまうと、私は上田秋成という人物、その作品とも、自分とはまったく疎遠だったと感じていました。文学史の授業で興味は感じていたけれど手を着けかねていた秋成と出会うきっかけを得、文学のおもしろさを心から楽しむことができた四日間でした。
最後に、飯倉先生にいくつかインタビューをさせていただいたので紹介します。
加藤─先生と秋成の出会いはどのようでしたか?
飯倉先生─あまり劇的なことはありませんでした。秋成に関しては知らなかったので、とりあえず読んでみようと思って卒業論文の題材探しに読み始めたんです。本当は中世文学が好きだったのですが、専門の先生がいなかったんです。でも近世をやってもどこかで出口は同じかなと思ってやっていたら、気づけばずるずると、という感じです。
加藤─なるほど。先生にとって秋成とはどのような存在ですか?
飯倉先生─実に抽象的な問いですね(笑)。いつまでたってもわからない存在です。わからないからこそいつまでも付き合えると思うんです。
加藤─そうなんですね。ありがとうございます。では最後に、学生に一番読んで欲しい秋成の作品は何ですか?
飯倉先生─そうですね、敢えてひねくれて言うと、『藤簍(つづら)冊子(ぶみ)』の中の「よもつ文」ですかね。
飯倉先生ありがとうございました。また、日本近世文学とその研究に関わる情報、感想を中心に綴られた先生ご自身の『忘却散人ブログ』も必見です。