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ことばの向こう側には、ことばを発する(話す・書く)主体が存在します。ことばを対象にするということは、ことばを介して、ことばの向こう側にいる<他者>と向き合うことでもあります。
日本文学科での学びの本質は、過去から現在に至る、日本語で書かれたテクストを対象とすることで、テクストの向こう側にいる見知らぬ<他者>と対話する技術を学ぶというところにあるといってもよいでしょう。
<他者>を単なる風景や異物としてとらえるのではなく、それ自体独立した人格としてとらえるためには、<他者>の心を思いやる想像力を持つことが不可欠です。<文学>には、<他者>の心に分け入ったり、<他者>の目を通して<私>という存在を見つめ直したりする、不思議なメカニズムが内包されています。
心理学者のアリソン・コブニックによると、子供が<他者>の心の志向的状態を推定する能力と、自分の心の志向的状態を推定する能力との間には対称性があるということです。つまり、<他者>の意図や心的状態を充分に把握することができない人間は、自分自身の意図や心的状態についても満足に自得することができないということです。
日本文学について学ぶということは、自分とは切り離された他所にある過去の文化・歴史・言語などについて学ぶことではなく、ことばという回路を通して、今、一度きりのかけがえのない人生を生きつつある自分自身と向き合い、自分自身の実存について考えるということと等価な営みなのです。
本学の日本文学科は、そのような、自分という存在について問いかける、最良の学びの場であるといえるでしょう。
日本文学・日本語学・中国文学をめぐる研究情況は、今日めざましい勢いで展開を遂げています。特に、研究方法・問題設定などを中心に、周辺諸学との相互侵犯は確実に拡大し、学問領域のボーダーレス化は今後も進展するものと予測されます。
こうした情況をふまえ、日本文学科では従来の日本文学・日本語学・中国文学といった狭い枠組みにとどまらず、幅広い科目の設置・開発に目を配っています。第一線で活躍する研究者を学外から招いて開講される夏期集中講義や、表象文化論などはその実例の一つです。
こうした多様なカリキュラムの履修方法については、原則的に学生諸君の自主性を尊重し、一部の科目を除いて必修の制限をつけていません。これは、自ら問題を発見し、自らその問題解決に意欲をもって取り組み、そして自らの手で問題を解決するという、前述した教育方針に対応しています。
さあ、日本文学科のカリキュラムを自由自在に泳ぎ回り、あなたの大切な問題を発見してください。私たち日本文学科の教員一同は、全員でそのお手伝いをするつもりです。