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二〇一一年六月十八日、菊池夏樹氏をお招きして日本文学会春季大会が開催された。菊池氏は、菊池寛のご令孫でご自身も文藝春秋にて編集者として長年勤められた方であり、現在は、高松市菊池寛記念館名誉館長などを務めて二〇〇九年には祖父である菊池寛の生涯を綴った『菊池寛急逝の夜』(白水社)を執筆された。今回はその著書の中から親族が語った菊池寛の逸話と、菊池氏の編集者としてのお話を交え「作家と編集者」と題してご講演下さった。
菊池寛は『真珠夫人』や『恩讐の彼方に』などで知られる日本近代文学の代表的な作家の一人であると同時に、文藝春秋を創立した出版人・経営者でもある。
「菊池寛は無類の人好きで、新しいものが大好きでした。」と菊池氏がおっしゃるように、菊池寛は一九二三年に『文藝春秋』を創刊してから、次々と誌面上で競馬、麻雀、ゴルフなどを紹介しブームを仕掛けていった。また、新人作家の発掘と後進の育英を図るため、日本で最初の文学賞となる芥川賞・直木賞を設け、「生活第一・芸術第二」というモットーを掲げながら、大衆の生活に密着した、大衆のための文学を広く浸透させた当時の大プロデューサーであった。
菊池寛は、菊池氏が2歳のときに亡くなったとのことであるが、私達は菊池氏が菊池寛の腕に抱かれている写真を拝見した。菊池氏は、祖父である菊池寛の小説の中で、『笑ひ』と『身投げ救助業』を好きな作品としてあげ、菊池寛の一生をかけた小説のテーマは“不条理”であるとおっしゃった。
「小説というものは、人間であることの唯一の証である。その証とは物を作り出す、物語を作れるという力だ。音楽、映画、舞台など芸術と呼ばれる全ての中心は物語を作るということにある。」と、菊池氏はおっしゃった。人生の中で、出会える人や行く事の出来る場所というのは限定されてしまうが、小説を含む書物を通すことによって、様々な人の考え、時代に容易に触れることができるようになる。文学とはそのような形をもって社会に貢献するのである。菊池氏は、現在、編集者、経営者として文学界で、紙媒体を残すためのデジタル書籍事業にも取り組んでいるという。
また、菊池氏は、学生である私達に伝えたいこととして、「現在の日本は袋小路に入っている。前に進むのではなく、勇気を出して道を戻り、生き方を変えなくてはならない。」というお話をしてくださった。「どの時代にまで戻るべきか。それは菊池寛の生きていた時代、貧乏でも心の豊かさがあった大正末期、この頃が一番良いのではないだろうか。私はそんなことを考えながら、菊池寛の足跡を必死で辿り、菊池寛を通して時代を探っている。」私達は菊池寛の生きた時代をもう一度振り返る必要がありそうだ。
そして、最後に文藝春秋に40年勤め、芥川賞・直木賞の社内選考委員であった菊池氏だからこそ言える新人賞に受かる7つの法則、編集者になるための法則を、講演会に来た方達のみに、と特別に伝授していただいた。それらはどれも実践的であり、菊池寛が目指した人々の人生を明るく豊かなものにするための、文学の未来を引き継ぐ存在となるかもしれぬ私達の心に印象深く刻まれた。