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私は今、日本文学科の前期博士課程に在籍しています。大学院に入って半年が経ちますが、まだまだ生活のリズムがつかめず右往左往してしまいます。そんな新米院生の私ですが、大学院生活について少しお話したいと思います。大学院に入る前は、私は大学院というと学部の延長というイメージしかありませんでした。自分のペースでのんびり研究をしていられるというような甘い期待とともに大学院生活が始まりましたが、実際はその思惑とは違い、ハードな毎日を送っています。まず学部と大学院の授業の違いですが、大学院は全て演習形式の授業となっています。私は今年五コマの授業をとっていますが、ほぼ毎日発表のためのレジュメ作りに追われています。また、自分の発表だけではなく、他の院生の方の発表にも備えなければいけません。大学院では、発表者以外の人も毎回発言をし、ともに授業を作り上げていきます。時には議論が盛り上がり、授業時間を大幅に過ぎることもあります。学部の演習の時には、同じ学年の人たちしかいないこともあって、どこか遠慮がちな意見しか言えなかったり、自分の発表にもっと突っ込みを入れてほしいと思っていてもそれがなかったりと物足りない思いをすることもありましたが、大学院では思い切って自分の率直な意見を言ってみたり、先輩方や先生方の鋭いご指摘や有益なアドバイスをいただけたりと、多くの発見や手ごたえがあります。このように授業だけでもその準備などで忙しいのですが、大学院では修士論文や博士論文を仕上げることが最も大切な事となります。あれもこれもと根を詰めると体を壊してしまうので、無理をせずにこれらの事をこなしていくことが必要なのです。なんだかやらなくてはいけないことばかり書いてしまいましたが、自分が研究したいテーマを持ち、なおかつ他の人の研究テーマにも興味を持てる人ならば、充実した大学院生活を過ごすことができるのではないでしょうか。
入試になくて就活にあるもの、それは相手です。結婚と同じく就活にも必ず相手=会社がいます。そして結婚=内定に結びつける為、私にはこんなに良い所がありますよとアピールをして「よし、この人となら!」と思わせる、それが就活だと思います。
では就活において何をアピールするか。次の3点は私が重要だと思った項目です。1つ目はお客様に好印象を持たれ、利益を出せる素質があるか。2つ目は仲間と協力して仕事ができるか。3つ目はどんな仕事でも嫌がらず命令通りにやるかです。どれも「仕事をする上での素質」を問われました。
しかしアピールと言っても使えるネタは自分の経験の範囲でしかありません。まずエントリーシートではこの3点をアピールできるように、自分の経験を工夫して書きました。例えば「私は学生時代このような問題意識を持ち勉強しました。それを貴社でビジネスにして社会に貢献したいです。」「私はサークル活動で仲間と目標に向かって、このように工夫し努力しました。」「アルバイト先では目立たない仕事でも一生懸命こなしこんな結果がありました。」などです。晴れてエントリーシートが通れば、あとは筆記試験と面接です。筆記試験では問題集を解くなどの準備が必要ですが、特に小論文などが出された場合はこの3点をアピールできるような形で書きました。そしてついに面接です。私は緊張し意気込んでいった会社ほど落とされ、寧ろリラックスできた会社から良い返事を頂けました。ですので、皆さんも面接まで上り詰めたらぜひリラックスして臨んでみてください。最後に、絶対譲れない「働く条件」を持っておいて下さい。例えば通勤時間や転勤の有無、給料等…後で後悔しないためには重要です。私は最終的に金製品を扱うメーカーに就職が決まりましたが、自分の軸と一番あった会社だったので、気持ち良く就活を終えることができました。皆さんも頑張ってください! 心から応援しています!
あの人に 会いたいと願う 天の川
七月上旬、丁度七夕の時期に老人介護施設にお世話になった時分、達筆で書かれた品の漂う短冊が目に留まった。八十年生き、半世紀以上も連れ添ってきた愛しい人に死に別れ、一人残された女性を想った。「高齢者」「要介護者」と様々な堅苦しい呼び方をされる年老いた婦人というより、その一句は永遠の恋人を二度と会えないと知りつつも待ち侘びる、身を焦がすように一途に恋慕する乙女の姿を思い起こさせた。
私がお世話になった施設はデイ・サービスを行なっており、日頃読書やテレビに退屈する方が、ゲームや談話で気晴らしに来るのをお手伝いする。利用者の方々は「本当にここへ来るのが楽しみなの」と口を揃えて言う。何だか習い事へ通う子供のようであった。パズルや折り紙をしたり孫の話をしたり各々好きな事をして楽しく時を過ごしていた。
初めは緊張してどう話せば良いのか皆目見当が付かなかったが、逆に利用者の方から次々話の接ぎ穂を提供してくれた。今でも内容を思い出せる程貴重で興味深い話ばかりであった。中でも驚いたのは私の敬愛する川端康成が自決する三日前、その姿を駅前で見掛けたという方がいらっしゃった。和服を着て妻を連れた文豪は、あの独特の光を放つ目を光らせて歩いていたと言う。その時彼は何を考えていたのだろうか。自分の運命を既に悟っていたのだろうか。
他にも大学の研究員で博士だったとか福澤諭吉に赤ん坊の時あやされたとか“すべらない”話がたくさん聞けた。人生の先輩に自分が想像も出来ない事を教えて頂いた。また話を聞いた方殆どは大正ロマンの女学生で私の憧れでもある。
人は十分に知らない対象を生半可な同情と少しの嘲笑とで、余所余所しく自分達の世界から排除する。今回の体験で書き切れない程の多くのことを学んだ。私が思い描いていた“老人”は私達のように、いやむしろそれ以上に感情豊かで“幼な子”のように生き生きしている事を知った。
私が教育実習を行ったのは、母校である私立の中高一貫の女子校でした。その中でも受け持ったのは高校3年生の受験クラス。果たして受験生を満足させる授業ができるのか、受験を控え、緊張感のあるクラスに受け入れてもらえるのか。プレッシャーを大変感じながら教室に入ったことを覚えています。
実際に教室に入ってみると彼女達が受験に対する大きな不安を抱えていることがひしひしと伝わり、どうにかしてあげたいという思いが沸いてきました。限られた期間の中で私にできることは何かを考え、実習生としてだけではなく、彼女達の先輩として、現役大学生として、毎日終礼時に大学での話や受験体験談をし、その楽しさを伝えて行くことを実習の目的としました。
授業においても、受験のための勉強ではなく、まずは古典の楽しさを知ってもらい、受験に対するモチベーションを上げることに重点を置きました。教科書の文法事項だけでなく、登場人物である和泉式部や紫式部の人間性を知ることでその他の作品への興味につながればと考えたからです。しかし、そのために自らの理解度を高めることは思っていた以上に難しく、何度も資料に目を通し、教案を練り直しては指導教諭と話し合いました。
そのような私の想いが伝わったのか、日ごとに彼女たちとの距離が縮まっていくのを感じました。いつもは明るい教室も、授業中は静まり返るほど真剣に取り組んでくれました。また進路や受験勉強に関する相談を受けることも多く、目標に向けてまっすぐ、まじめに取り組むその姿から学ぶことが多くあったと思います。なぜ私は日本文学科に入ろうと思ったのか、何を学ぶために大学に入ったのか。彼女たちと話すことで、自分を見つめ直すきっかけとなりました。
本当に私にとって与えることよりも得ることの多い3週間でした。今も努力を重ねているであろう彼女達の健闘を祈るとともに、私も負けじと頑張っていきたいと思います。
私は今、国語の先生になるために勉強しています。私が先生になりたいと思ったきっかけは至極単純で「古典が好きだから、自分の好きなことを仕事にできたらいいんじゃないの?」という楽観的な発想です。高校二年生のときにそう思い立って、受験を経て希望通りに日本文学科へ入学できたのはいいのですが、大学という場所で自分の夢が徐々に現実味を帯びてゆくにつれて、自分の理想と現実の落差というものを痛感しました。
私は子供が好きだし、国語も得意だし、人の面倒を見るのもさほど苦ではないと感じることができる人間なので、ある程度教師に向いているんじゃないかと思っていました。しかし実際に教職課程の授業が始まって「先生になる」ということがどういうことなのかが少しずつ分かってくると、本当に自分は教師に向いているのかが怪しく思えてきたのです。子供がすき、国語が得意、そんなことは当たり前でなければいけなくて、やはり教師は、知識を授ける者である以前に、何人もの子供たちの上に君臨する者として要求されることが山ほどあることにようやく気づいたのです。
これまで私が教師になりたいと思う理由はなんとも自分本位で、ただ自分の得意分野の知識をひけらかしたいと思っていただけだったと気づかされました。教えるのが人なら、教わるのも人であり、単純な知識、情報の伝達だったら、そもそも教師など必要ないのです。教師になる、人から『先生』と呼ばれる存在になると言うことは、自分が人々に知識以上の何かを与える存在になるということなのかもしれないと感じました。
今私が考えていることは時間が経てばまったく別の方向に変わるかもしれません。しかし教師になることを諦めるつもりが無い以上、今のうちからこういうことを考えることは決して無駄なことではないと思っています。
近年は作文が苦手な子が多いと聞く。私の妹もその一人で、なぜか原稿用紙を前にすると手が止まってしまうのである。こう言っている私も文章に自信がなく、プロに添削を頼みたいくらいなのであるが、意地でも作文は書いてきた。思うに言葉を知っており、テーマとなる材料があれば作文は書けるはずなのである。
作文が書けないとは一体どのような状態なのか、この夏、妹の高校受験のための付き合いで知った。妹は作文に対し重度の苦手意識があるらしく、模擬試験の作文問題部分は必ず真っ白な状態で提出していたのである。
真っ白な状態ではアドバイスのしようがないので、何か学校で行事があった時などに書いた感想を参考までに見せてもらった。これもまた驚いたもので、ほとんどが「楽しかった」「いい経験になった」「またやりたい」の当たり障りない三文句なのである。どうしてこうも同じことしか書けない、もしくは書けなくなってしまっているのか。
問題は「自己」を書き出せないことのようだ。その人自身でしか経験していないことは、実はいくらでもある。この部分が作文の核である。それさえ出来ればあとは書きたいことをメモに書き出し、選び取り、組み立てるだけだ。彼女は突然書き始めようとしてしまったようである。作文はメモのための時間を数分とるだけで、書きたいことが明確になり、美しい作文へと繋がる。
ここまで述べたのは私の知る限りの作文の基本事項であった。しかし私も作文に頭を悩ませる一人なので、最後によくお世話になる本を紹介しておく。宮部修著『文章をダメにする三つの条件』では、作文の初心者のために良い作文・悪い作文の例とともに解説を加えている。この作文を書くためにも用いた。作文とは自分の自由のきく場所であり、自分という主人公を描き出す場だ。けして苦手にするべきではないし、楽しんで書くものにしていくために、皆さんも作文に挑戦してみてはいかがだろうか。
私が日本に留学してから3年近く経っている今、日本での留学生活にはだいぶ慣れてきたと思う。しかし、3年前には自分が留学することについてまったく実感できない状態であった。親を離れて他国で生活するという、しかも初めての一人暮らしは、私にとってはすべてが不安であり、と同時に新鮮な気持ちでもあった。それでも私は日本留学に自分の人生の新たなスタートとして踏み切りたかった。
日本に来て始めの2年間は日本の大学進学に向けてひたすら日本語の勉強をするだけであった。そのため、それ以外のことにまったく興味を持つ余裕がなく、一日でも早く日本での生活に慣れることを心がけていくだけだった。
そして、大学に進学し、現在日本での大学生活は、また新たな学問的知識を身につけるとともに異文化理解に対して改めて考えるきっかけを与えてくれた。日本語学校で学んでいた時より、より多くの日本の学生たちと触れ合う機会が多く、日本の文化を肌で感じることができた。
このように、いろいろな人々と話し合っていくうちに今まで知らなかったお互いの文化を知り、それを理解していく楽しさや異文化理解の大切さを考えさせられたのである。またそこから、自分が生まれ育った韓国と日本との文化や価値観の違いや自分の中の先入観にも気づいた。そのことによって、意外と韓国にいると気づかない新たなものの見方が発見でき、異文化理解をとおして異なる考え方の発見もできるかもしれないと思うようになったのである。
これからも、さまざまな人々との異文化交流を体験していくという留学生活ならではの経験とともに、将来自分が携わりたい韓国での日本語教育のことをしっかり意識して、より充実した大学生活を過ごしていきたいと思う。