今年度の夏季集中講座では、奈良女子大学の千本英史先生を講師にお迎えして、鴨長明の『発心集』を読みました。『方丈記』や『無名抄』の著者としても知られる鴨長明ですが、和歌や管絃などの数寄事に親しみが深いこと、また月に思い入れがあったことなどから「数寄者」としても知られています。その長明が書いたとされるのが、発心する人間についての説話を集めた『発心集』ですが、今回はその『発心集』を4つのテーマに沿うように読んでいきました。その4つのテーマとは、【1、偽悪の伝統】、【2、神明説話】、【3、数奇説話】、【4、偽書について】、です。授業は4日間にわたって行われ、1日に一つのテーマというペースで進みました。
一般に、『発心集』は8巻、102の章段からなる説話集とされています。8巻本と言われるのが慶安四年版本で、今回はそれともう一つのテキストである神宮文庫本とを比較して読む作業をしました。神宮文庫本は5巻本であり、流布本の慶安四年版本とは収載されている話も異なる上に、細かく見ていくと文体も違います。なぜこうした違いが生まれたのか。今回の授業はそうした疑問を出発点として始まりました。
二つのテキストを比較して読んでみると、「流布本系統の本にはあるが、神宮文庫本にはない章段がいくつかある」ということに気付きます。そして、その章段はいずれも「神明説話」や「数奇説話」と言われる説話群です。神明とは神や神社について書かれた説話であり、数寄説話とは和歌、管絃について書かれたもので、先に述べた通り、それは鴨長明にゆかりのあることです。
鴨長明は、確かに下鴨神社の禰宜となるべき家系の生まれですし、神についての説話を書いていたとしても不思議はありません。それに歌論書である『無名抄』などを残していることなどからも「数奇者」であることは分かります。だから「数寄説話」を書いていてもおかしくはないのです。しかし、果して本当に鴨長明が書いたのかどうかについては疑問が残るというのが、今回の授業の大きなテーマでした。
また、作者に対するイメージから生まれたのが「偽書」であり、中世、近世には鴨長明が書いたと偽した、つまり作者を鴨長明だと偽って何者かが書いた作品が多くあったそうです。先生は、偽書についての解説をしつつ、物語や日記、説話などが当時の読者にどのように読まれたのか、またどのように伝わったのかという『受容』についてお話してくださいました。
最後に、先生の勤務校である奈良女子大学の図書館のデータベースについて説明してくださいました。奈良周辺の寺社の仏教的な絵画資料や『伊勢物語』の伝本などを、直接そこに行くことなく、インターネット上で見ることが出来て非常に便利なものです。
四日間という短い時間でしたが、多くのことを学べる意義ある時間でした。
3年D組 粕谷 剛史
(講義名・鴨長明『発心集』を読む)
今回の日本文学特講Bは、文学作品の展開においてしばしば重要な意味を持つ、化粧について学びました。化粧についての一般的なイメージ、女性が顔にファンデーションなどを塗ったりする、というのは化粧の意味するところの一部でしかありません。化粧は「けしょう」と読み仮名が振られる場合には顔など頭部の装いを指しますが、「けはひ」「けわい」の場合には全身の装いを指したそうです。また、化粧は化粧品を塗ったり、つけまつげを付けたりするプラスの行為だと思われがちですが、実はマイナスの行為もしています。眉毛を整えたり、ひげを剃ったりといった行為がそれに当たります。つまり、全身のあらゆる装いを指す言葉であって、男性の装いも指す言葉であったのだそうです。
講義は主に、江戸時代や明治時代の浮世絵や版本からその時代の化粧の方法や美意識、使われていた化粧品やその宣伝の仕方まで、化粧に関するさまざまな事象を読み取る形で進められました。その際、時代ごとの美意識といっても個人差があることや時代ごとで人間やその生活様式に区切りはつかないということを忘れてはならない、と注意を促されました。江戸時代の化粧の最重要ポイントは眉と歯でした。女性は結婚が決まるとお歯黒をし、子供ができると眉毛を剃り落としました。これは、その人の身分・属性を表す礼儀作法の側面を持つ化粧です。剃った眉の痕がうっすらと残っている状態を青眉といいますが、その姿は美しいと捉えられており、憧れをもって見られていました。また、目が細いことが美人の条件であったということはよく知られていると思いますが、ただ細いだけではなく、切れ長で黒目がちであるのが良いとされていたようです。このような美しさの価値観が現代のものと違っているのは、今回多くの美人画の浮世絵を見せていただいて実感したことですが、目に関心があるなどの点は変わらないものだとわかりました。
「知らないことを自覚し、大事にする」「知らないものは見えない」という言葉を陶先生は講義の初めにおっしゃいました。私たちは毎回の講義後に提出する紙にわからないことを書き、それに関する説明に講義の多くの時間を費やしていただいたことにより「知らないことを自覚し、それを塗りつぶすことでわかっていく」ことができました。また講義の一環で、東京国立近代美術館で行われていた「上村松園展」に行った際、私は以前なら絵画にあまり興味を持てずに通り過ぎるように眺めていたと思いますが、今回お歯黒や青眉などについて学んだので、描かれている人物一人ひとりの化粧を細かく見ることができました。先生の「知らないものは見えない」というお言葉を体感しました。先生がこの二つを「一つのものを極めていく一つの道」につながるものであるとおっしゃっていたように、これらは、研究をしていく上でも基本であり、とても重要な姿勢なのだと実感しました。
2年C組 山崎万里映
(講義名・日本文学と化粧)