青山学院大学文学部 日本文学科   HOME    大学TOP    文学部    お問い合わせ  
高校生のみなさんへ
日本文学科教員からのメッセージ
文学部のパンフレットがダウンロードできます。詳しくは文学部ホームページからどうぞ。(PDFファイル・6.8MB。別窓で開きます)
日本文学科へのリンクはご自由にどうぞ。
HOME > 会報 > 第45号
会報
第45号
会報TOP |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10
 
日文生随筆

社会人からの大学院入学
博士前期課程1年 小田島由佳

 私が学生生活を送ったのは、まだ青山学院に厚木キャンパスが存在したころであった。和歌の勉強がしたくて日文に入学したのであったが、学部の4年間はいろいろとやることが多すぎて、とても勉学にまでは手が回らなかったというのが正直なところである。それでも、勉強は嫌いではなかったし、教員を目指していたこともあって、大学院でもう少し勉強を続けたいとぼんやり考えたものだった。が、時は就職氷河期。なんとなく受験した公務員試験に合格してしまった私に選択肢はなかった。親が進学を認めなかったのである。こうして、私は公務員になった。
  社会人として生活していくうちに、私の興味も変化した。いろいろな人と関わり合い、時に理不尽な出来事に遭遇する中で、文学に「笑い」や「諷刺」の要素を求めるようになった。いつの間にか、近世文学に深く興味を持ち、もう一度勉強したいと願うようになっていった。
  学問の世界から長らく離れていた私に、青山学院は門戸を開いてくれた。大学院の社会人入学制度である。晴れて入学を許可されて、私は職を辞した。現在は年の離れた仲間たちと机を並べ、大学院生活を謳歌している。年を経ても、青学の日文は変わることのない温かさに満たされていた。なんとも嬉しい限りである。大学院の授業は基本的に演習であるし、学生も少人数だから、授業の予習は必須のうえ、発表もたびたび回ってくる。授業外でも、研究会に出席したり、調査に行ったりと何かと忙しい。それでも、今の私にとってはパラダイス。勉学以外のことにはほとんど手が回らない今日このごろである。
  大学院の門はいつでも開かれている。一度社会に出てからでも決して遅くはない。学びたいと真剣に願ったとき、門をたたけばよいのだ。


私の就職活動
4B 前田 千恵

 私には特にやりたいことがあるわけでもなく、活かしたい能力があるわけでもありませんでした。そもそも仕事に対するイメージは、アルバイトの延長線上ぐらいのことしかなくて、自分が社会人として働いている姿が想像できませんでした。
  しかし、そんな私でも就職先として選ぶ条件がありました。どのような人がその会社で働いているかということです。一緒に働く相手と息が合うということは、長く働くために欠かせないと思います。
  私は一年生の時からカフェでアルバイトをしていますが、時給は低いし体力はいるし、正直なところ労働条件は悪いと思います。それなのに三年半も続けてこられたのは、気のおけない仲間と一緒に働くのが楽しかったからだと思います。
  そこで、一緒に働くスタッフがどんな人なのかを意識して就職活動に取り組もうと思い、会社説明会に参加し始めたのですが、なかなか会社の内側は見極められませんでした。
  会社の資料にはアットホームな職場と書いてあっても鵜呑みにはできないし、疑い始めると説明会で私たちに向けられた笑顔や明るい声までもが胡散臭いように思えてきました。売り込もうとしているのは私たち学生だけではなくて、会社側も私たちにいい会社だと思ってもらえるようにアピールしているのです。
  嫌になりながらも就職活動を続けているうちに、小さい会社だけれども私が探している会社が見つかった、ような気がします。今では、早く働いてみたい、社会人になることが楽しみだと思えるようになってきました。


介護等体験記
3A 星野 彩花

 「今日は雨ですね。」「そうですね。」そして沈黙。いったいお年寄りとどのような会話をしたらよいのだろうか。これが私の介護等体験初日の感想である。どうしたら会話が弾むのだろうか。どうやったらお年寄りとコミュニケーションがとれるのだろうか。世代も、生きてきた環境も違う彼らとの共通の話題を見つけることは難しく思えた。
  歌の活動の時間に、あるお年寄りが歌集を広げて私に「あなたが知っている曲なんてもうこの中にはないんじゃないの?」と聞いてきた。確かにその歌集には私の知らない歌が多かった。
  それから学生時代の記憶を懐かしそうに語ってくれた。「髪の毛は結べる長さじゃないとだめだったの。スカートもたち膝をしたときに裾が床につかなくちゃいけなかったんだけど、服装検査以外の時はスカートを折ったりして短くしてはいていたのよ。」
  いつの時代も可愛くありたい女の子。過去と今とで変わらないものがある。気がつけばいろいろな方が恋愛相談、武勇伝、教訓といった様々なことを語ってくれた。それらはいつの時代でもためになる変わらないもので、それこそが私とお年寄りをつなぐ共通の話題だったのだ。
  コミュニケーションが大切なのは、学校でも社会でも同じである。あいさつや笑顔といった一つ一つのコミュニケーションをどれだけ大切にできるかということは、教師にとっても会社員にとっても、子供もお年寄りもすべてに共通するものだということに気づかされた介護等体験だった。


教育実習体験記
4C 川野美羽子

 深夜2時起床、7時登校、20時帰宅、23時就寝。これが私の教育実習中の生活スタイルでした。3週目には完徹状態の続いた教育実習は毎日過酷であったはずなのに、今思い出してみるとなぜか楽しかった記憶しかありません。
 「あいつの授業まじくそつまんないんだけどー」なんて、ケータイを片手にろくに聞いてもいないくせに、高校生の時には毎日何気なく発していた言葉ですが、なんとも偉そうに授業を評価していた自分が恥ずかしくなりました。たった50分の授業を行うだけでも、それに対して最低でも倍以上の時間を準備に費やさなければ、生徒に理解させることは不可能で、ましてそこに面白さなんて求めようものならば、きっと何年間もの積み重ねによって得られた技を持ち合わせていなければならないのだと痛感しました。となると、大学の授業は90分…。これからは真面目に授業を受けようと思いました。
  では、知識も時間もない私が、どのようにして50分×6コマ×4クラスの授業をこなしたのだと思いますか? 私たち教育実習生には、若さと仲間という最強の武器があるのです。自分が生徒だった頃の気持ちを思い出しながら、生徒たちの目線に限りなく近いところで授業を考えることが可能です。また、模擬授業を行い、お互いに欠点を指摘しあい、知恵を絞り合っていく、時には弱音や愚痴を言い合ってストレスを発散させたりして、共に過ごした実習生仲間がいたから乗り越えることができたのだと思います。
  たかが3週間、されど3週間。大変有意義な経験となりました。最終日、実習生全員で行った打ち上げでのビールのおいしさは一生忘れません!


ある授業の風景
2B 七戸 音哉

 ザーザーと降り注ぐ雨、明かりの入って来ない教室。全身からボタボタと水滴を垂らしながら遅刻して入って来た者にも、全ての気力を失ってお先真っ暗になった者にも、はたまた今幸せの絶頂にある者にも、例外なくそれはせまってくる。ある教授は雲隠れしたくなる程の物憂さを抱えこみながら教卓に座りこみ、ある学生は急に色鉛筆が欲しくなって百貨店に走る。空き教室の黒板にでかでかと「休講」と書いて、一個の檸檬を丸善の本棚に置いて出た男の如く、意気揚々と教室を後にする者もある。皆思い思いの立場でそれと向き合い、それが余りに豊饒すぎて使いこなしにくいことに困惑する者もあれば、逆にそれを卑小、物足りないと感じて落胆し、舌打ちして白い眼を剥く者もある。ジブンノシアワセ、アルイハゼツボウハコンナモノデハナイ? 前では教授が何やら苦しげな表情を浮かべて喋っている。コトバハゲンジツヲキリヒラカナイ、とか何とか。
  ─「自分に色々な面があるように相手にも色々な面がある訳で、それを探そうとすることと、ブンガクケンキュウの間に境を作ることの方がおかしいやんけ。」「いけない教師やと思うかもしれないけど、僕は授業をやるフリをして学生を観察するのが好きなんや。あいつにはこう話しかけてみよう、とか。」──
  突然それにグワッと口の様なものが出来てこちらに何か語りかけているようである。その声はどこかで聞いたようでもあり…。今の聞こえた? と周りを見渡すと、あ、ここにも、ここにも! 額に汗を浮かべて、皆ジブンなりのその得体のしれないものとの向き合い方を模索している。と、その時パア〜っと太陽の光が教室に差し込んで来た。その場を包んでいた薄ら寒さは消え去り、後には植物に囲まれているような心地よさが残るばかりであった。


田舎者と改札
1B 赤間 極

 朝や授業の始まる数十分前の淵野辺駅は、非常に混雑する。到着した電車から降りた人々は人波となって、階段やエスカレーターを流れてゆく。その流れはやがて渦になり、皆が目指すその渦の中心とは、妙に間延びしたような「ピッ」という音を鳴らす改札機である。誰もが定期券をその自動改札にスッとかざして通り抜け、大学に向かうのだ。
  身の上話になるが、僕は北海道の田舎町出身である。移動手段は電車よりもバスの方が多い。なにせ1時間に1本くらいのペースでしか電車が来ないのだ。もちろんSuicaやPasmoなんて便利なものは存在しない。
  想像してほしい。そんな田舎者がPasmoやらなにやらを使って自動改札を突破するのだ。大丈夫かな、ここにかざすんだよな、いいんだよな、ピッ、おお大丈夫だった、北海道から横浜に引っ越してきた当初は本当にこんな感じだった。今となっては多少慣れたといえども、やはり改札にひっかかるのは恐ろしい。淵野辺駅ではないものの、1、2度ほどひっかかったことがある。「ピッ」ではなく「ピポーン」と鳴り響き、通常は青く光るランプが赤く光る。おまけに正面のゲートがガタトンと閉じる。なにもランプを赤く光らせたりすることはないではないか。
  都会生まれ都会育ちの人には想像できないかもしれない。しかし、地方から出てきた人には、僕ほどではないにしても、少なからずこのような経験があるのではないだろうか。僕はここに住んでもう数ヶ月経つが、未だに驚きと発見の毎日である。
  講義で学べること以外でも、自分の知らなかった物事を知ったり発見すること、自分の世界が広がってゆくことは、喜びであり、なんとも楽しい。そんなことを考えながら、田舎者の僕は今日も渦の中心を目指す。願わくば、もう少し堂々と改札を通る勇気と、慣れが欲しいものだ。


田舎人、in 青山学院
1C 斉藤 知気

 神奈川県は座間市。二階建ての小さなデパートが最大級と言えるくらいの田舎である。もっとも、「そんなの田舎の中にも入らない」という人もいるかもしれないが、ともかく座間市は田舎なのである。そんな所で生まれ、育った私は今年の四月、晴れて青山学院の淵野辺キャンパスの門をくぐったのだ。
  門をくぐった時に驚いたのは自分が知っていた「学校」とはあまりにかけ離れたキャンパス。正面にはガラス張りの大きな建物。清潔さを感じさせるデザインのそれは、新緑の芝生の間にそびえている。中に入れば至る所でエスカレーターが作動し、これまたモダンアートを感じさせる案内板が自分を教室まで案内してくれる。今まで塗装がはげ、挙句の果てにはひびまではいってしまっているような校舎に通っていた自分としては入学当初、なんてお洒落なところなんだと、目をチカチカさせ、こんなところで勉強をするのかと心を躍らせたものだ。
  そんな中でも驚いたのはトイレである。初めて大学内のトイレに入ろうといた時、トイレ内が真っ暗だったのだ。電気をつけるのか、しかしスイッチなどどこにも見当たらない、これはどうすればいいのかとその時は相当困惑してしまった。仕方ない、このままでもいいとトイレ内に入ったところ、いきなりパッと電気がついたのである。前触れもなく目の前が明るくなり、心臓が飛び出るかと思ってしまった。今では微笑ましい思い出である。
  初めのうちはまったくもって慣れなかったが、半年ほど通い続けた今はもうなんということもない。午前十時四十分。覚めきらない目をこすりながら、座間市生まれの田舎人は今日も今日とてぐわんぐわんと動くエスカレーターに足をのせるのである。


会報TOP |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10