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少し古い話になってしまったが、私は二〇〇七年の九月から一一月にかけて、中国の北京日本学研究センターに赴任した。日本文学科の先生方をはじめ、関係各方面のご厚意に支えられたものであり、この場を借りて改めて感謝の意を表したい。
北京日本学研究センターは、中国語表記では「北京日本学研究中心」。日中国交回復後に大平正芳首相が中心となって設立したいわゆる「大平学校」を前身として、一九八五年に正式に発足、中国における日本研究の文字通り中心となっている研究組織である。教育課程としては大学院であり、中国全土から選抜された、一学年三十数名の学生達が、「日本語・日本語教育学」「文学・文化」「社会・経済」の三コースに分かれて学んでいる。ほとんどの学生が、在学中に日本に数ヶ月留学した上で修士論文を提出する。従って、入学した段階で既に日本語の基礎は身につけており、私が担当した二年生の授業では、日本語のみで日本古典文学を教えることに、何の不自由もなかった。文学・文化コース、特に文学専攻の二年生ともなれば、『平家物語』ぐらいは原文で読めるのである。
とはいえ、入学したばかりの一年生諸君は、まだネイティブ日本人との対話経験はさほど豊富ではなく、時には珍妙な会話もあった。九月初めの着任早々、入学式を終えた時のことである。一人の新入生が私に近寄って話しかけた。「和食ハ靴ヲ脱ギマスカ?」。むむむ? 「和食は靴を脱ぐか」とは、どういうことだろう。日本料理店に入る時のマナーを聞かれているのだと思った私は、「ええと、立派なお店だと、靴を脱いで入るようなところもありますが、多くの日本料理店は靴を履いたままで食事ができます」などと答えていたのだが、どうも話がかみ合わない。しばらくとんちんかんな問答をした末に、彼女は気づいた。「あっ、ワショクではなくてワシツでした」。「和室」という単語が出てこなくて、「和食」と言ってしまったわけで、要するに、日本家屋に入るときには靴を脱ぐのか? と聞きたかったのだとわかって、大笑いになったのだった。
こちらはこちらで異国に来たばかり、中国では欧米などと同様、靴を履いたまま自宅に入るという習慣は知っているつもりでも、中国の学生の眼に、靴を脱いで家に入る習慣がどのように映っているのか、想像が及んでいなかった。他愛のない話ではあるが、会話とは、言葉の知識だけではなく、互いの風俗習慣を知ってはじめて成り立つのだということを、最初から教えてもらったことだった。
その後もたとえば、授業で『陸奥話記』を読んだとき。こういう漢文作品はもちろん簡単に理解できる学生達が、敗れた安倍氏の女達が煙の中で泣いているという描写がわからない、なぜ煙の中なのかという。落城といえば、敗れた側の人々が煙の中を逃げ惑う姿をまず思い描く日本人には、何がわからないのかわからなかったのだが、あちらの城壁は石や煉瓦でできているので、落城イコール火災というわけではないのである(咸陽宮は三ヶ月にわたって燃え続けたといわれるが)。
そんな風に、思わぬところにひそんでいる理解のつまづき、誤解の種を見つけてはお互いを理解してゆくのは楽しい仕事であり、教えるというより、相互に教え合う共同作業だった。何よりも、日本人教師と見ると目を輝かせて近寄り、何か話をしようとする学生の姿に、学ぶということの原点を教えられたような気がして、忘れられないのである。