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会報
第45号
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研究余滴

カミ(神)の語源
日本文学科教授 安田 尚道

 「カミ(神)の語源は何だろう?」 こう尋ねられると、「神様は高いところにいるから語源はカミ(上)かなあ…」と答える人も多いかと思う。
 上代には平安時代以降よりも音節の数がもっと多かった。キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロ(さらにその濁音も)には二種類あって、ミ[甲類]・ミ[乙類]・コ[甲類]・コ[乙類]のように呼び分ける。この二類の書き分けを一般に上代特殊仮名遣と呼ぶ。この二類に気付いたのは本居宣長であった。
 「子」「彦」のコは『古事記』では万葉仮名の「古」で書かれる甲類の音で、「心」のコは「許」で書かれる乙類の音であった。そして問題の「神」のミは「微」で書かれる乙類の音で、「上(カミ)」のミは「美」で書かれる甲類の音であった。「古」と「許」は日本漢字音でも別の音だが、万葉仮名の背景となった千数百年前の中国でも発音が異なっていた。「微」と「美」は日本漢字音のうちの呉音では共にミだが、昔の中国の漢字音では発音が異なっていた。甲類と乙類の違いが発音の違いだったことは確実なのである。
 さて、カミであるが、現代において「髪」と「亀」が発音の異なる別語であるように、上代においては「カミ[乙](神)」と「カミ[甲](上)」は発音の異なる別語だったのだから、「神」という語が「上」という語に由来するとは考えにくい。
 橋本進吉という国語学者は、〈「神(カミ)といふ」語は「上」といふ意味の「かみ」から出たものであるといふ説があります。これは宣長翁の説ですけれど……〉と述べる。橋本氏は”宣長は、「神」のミには「微」を用いて「美」を用いない、ということに気づきながら、「微」と「美」は別の音の万葉仮名としてはっきり区別されていたことが分かっていなかった。だから宣長は「神は上(カミ)に由来する」と述べた”と見ているのである。
 ところが、宣長の著作のどこにも、「神は上(カミ)に由来する」とは書かれていない。そこであらためて、「神」の語源を説いた色々な文献を調べた結果、”「神」「上」同源説は十七世紀からあり、新井白石・賀茂真淵もこの考えだが、本居宣長はそうではなく、神の語源について〈旧(フル)く説けることども皆あたらず〉、すなわち、「神」「上」同源説も含めて従来の説は全部ダメだ、と述べている”ということがはっきりしたのである。
 橋本氏は、”宣長は『古事記』において特定少数の語について万葉仮名に書き分けがあることに気づきそれを『古事記伝』に書いた。宣長の弟子の石塚龍麿が『古事記』だけでなく上代の各種文献を精査して、特定少数の語の問題ではなく、キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ……の音を含む語すべてについての書き分けだと気づいて『仮字遣奥山路(かなづかひおくのやまぢ)』を著した。そしてこの書き分けが音の区別に基づくことは自分(橋本)が気づいた。”と主張した。
 しかし、『古事記伝』の総論における万葉仮名の配列、『仮字遣奥山路』における万葉仮名の配列を細かく検討してみると、宣長も龍麿も、”二類の書き分けは音の区別に基づく”と理解していたことがわかるのである。
 橋本氏は、宣長や龍麿の到達点を理解していなかったのだが、それにしてもなぜ”宣長は「神は上に由来する」と述べた”などと言ったのであろうか?


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