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会報
第43号
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国際シンポジウム

「もう一つの日本語」報告
博士後期課程3年 麦島 梓

本年度の国際シンポジウムでは、「もう一つの日本語」というテーマのもと、小説家の金石範先生、翻訳家の崔真碩先生をお迎えした。表現者としてのそれぞれのお立場から、普段私たちが何気なく使っている「日本語」あるいは「ことば」について考える貴重な講演が行われた。
第一部では「文学的想像力と普遍性」について、金石範先生にお話いただいた。
韓国済州島における「四・三事件」を題材にした長編小説『火山島』など、多数の著作をお持ちの金石範先生は、朝鮮人が日本語で書くとはどういうことなのか、その歴史を振り返りながらご自身の体験を基に説明くださった。
日本による植民地支配下において在日朝鮮人は多くのものを剥奪された。その中には当然「言葉」も含まれ、奪った側の「言葉」で作家にとってのアイデンティティーである文学活動をしなくてはならなかった。支配者の「言葉」で文学を生み出すことは倫理的な側面のみならず、「言葉」それ自体が所持している機能面においても矛盾が生じることになる。
それは、日本語の持っている音や形式に影響され、「朝鮮」を書く作家の主体性、自由が剥奪されるからである。しかし、そうした民族間で閉ざされている「言葉」に互いに翻訳し得る部分を見出し、「日本語」そのものを創作することで「言葉」の壁を潰すことができるのだという。
また、最近の課題としている、人間の全体を書くこと、普遍性の全体に繋がっている無意識を引き出すことについてもお話くださった。
第二部では、「翻訳の現場─李箱「翼」をめぐって」と題され、崔真碩先生による報告が行われた。一九三〇年代に活躍し、日本語での著作もある、作家・詩人である、李箱の作品を例に挙げ、そこに現れた「言葉」の問題についてお話いただいた。
翻訳家の作業において崔先生は、原文の持っている「言葉」の味わいをどう訳すか、また、既存の訳をどう越えるかという問題に苦労されたという。
「朝鮮語」で書かれた原文にある、歌っているような伸びやかさ、そこに李箱文学のユーモアが乗るのだが、「日本語」にすることでその味わいが損なわれてしまう。それを乗り越えるために、新たな「言葉」を作るのだと言う。また、役者として、身体表現を通して発見された「日本語の重たさ」についてもお話くださった。
続いて、本学の佐藤泉先生から「引揚者の日本語」、片山宏行先生から「菊池寛と朝鮮」についての報告があり、討議では成蹊大学の李静和先生司会のもと、活発な意見交換がなされた。
李箱、森崎和江、菊池寛、金石範先生─。五時間ほどのシンポジウムには、長く、大きな歴史の時間が流れ、様々な場所からの「日本語」が浮き上がった。その歴史の末端にいる私たちは、「言葉」に対して想像力を豊かにし、どう対峙するか、思考し続ける必要がある。
熱のこもったお話を伺ったあと、会場を出た後も心地よい緊張感が続き、身が引き締まる思いがした一日であった。


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