• 高校生のみなさんへ トップへ
  • キャンパス紹介
  • キャンパスライフ(学生の一日)
  • 研究余滴
  • 読書ガイド

研究余滴

ミニ授業です。

都市文学としての西鶴小説
篠原 進(近世文学)

  このページを含め、今、ネット上には多くの情報が満ちています。有益なものがある反面、間違ったものも少なくありません。現代は、それを見分けるメディア・リテラシーと知性(インテリジェンス)が不可欠な時代です。それは、学問の世界も例外ではありません。江戸時代の、こんな話からはじめましょう。

  ある年の瀬のことです。京都の北山方面に帰る老人が、小判三両(現在の米価を基準にすると、一両は約六万円)を拾います。彼はそれを落とし主(柴売り風の人物)に返そうとしますが、なぜか相手は受け取ろうとせず、裁判となります。折しも御前(奉行・裁判官)は体調が悪く、代理で裁いた家老は新たに三両を加え、三者が二両づつ受け取るという「三方一両損」の裁決を下しますが、御前は納得しません。そこで二人を詰問すると、「山家の者驚き」、落とし手に依頼されての狂言であったと白状します。京都の人々に正直者と認知させ、後に大がかりな詐欺を企図していたのだと。首謀者はもちろん、依頼された彼も「鞍馬にちかき麓里」から追放されたという内容です。

  西鶴の裁判小説『本朝桜陰比事』(巻三の四「落とし手あり拾ひ手あり」元禄二〈一六八九〉年刊) に載る有名な話で、落語(「三方一両損」。こちらは大岡越前守の裁判譚です)にも取り込まれ、つい最近本学の入試にも出題されましたのでご存じかと思います。

  上記のごとく、この話は何の矛盾もない内容なのですが、今から五〇年ほど前に西鶴研究の大御所N教授が傍線部「山家の者(=山里に住む者)」を「柴売り」と解釈したことから長い迷走劇がはじまります。そう読むなら、(「山家の者」の発言を記す)以下の文は誤記と考えなければ辻褄(つじつま)が合わなくなるからです。そんな誤記説ですが、もう一人の権力者のT教授が支持したことで定説化し、以後出版された数種の研究書は例外なくそれに従っています。

  はたして、そうでしょうか。N教授は「柴売り」だから「山家の者」と誤解したのかも知れません。ただ、拾得者も北山(京都鞍馬山辺)に住んでいるのですから、彼も「山家の者」なのです。となれば、西鶴は間違っていないことになります。にもかかわらず、なぜこんな誤った読みが定着してしまったのでしょうか。それは、T先生ほどの人が間違うことはないと勝手に思い込んだり、「権威」に刃向かうことを恐れて安易な選択をしてしまったからなのです。どんな偉い人にも間違いはあります。大切なのは従来の説を鵜呑(うの)みにせず、「引用の織物」(ロラン・バルト)としてのテキストを糸のレベルにまで解きほぐし、それと真摯に向き合うことなのです。

  ところで、「山家の者」が「北山へ帰る老人」なら、本件の主犯は当然「柴売りと見へし人」ということになります。細かなことですが「柴売りと見へし人」という表現は、柴売りそのものを意味してはいません。ここはむしろ「(素朴な)柴売りを装った人物」と踏み込んで解釈するべきでしょう。というのは、彼の狙いは「正直者」と京都の人たちに信用させ、より大規模な詐欺を企てる点にあったからです。こうした悪知恵は、「北山に帰る老人」に相応(ふさわ)しくありません。なぜなら、「北山に帰る老人」というのは、それ以上の何も含意しないからです。これに対し、「柴売りと見へし人」というのは、あくまでも「柴売りのように見える」だけであって、正体は不明。この曖昧さが、わけありの人物を設定する上で絶妙なのです。

  後文には、その彼も「洛外」追放となったとありますから、彼がそれまで洛中の都市住民であったことは間違いありません。この話は都市空間が生み出す〈悪〉が、その周辺部に住む実直な老人までをも浸食しつつあるという寓意が込められたものなのです。 西鶴は『本朝二十不孝』(一六八六年)という作品の中で、「家数二十万八千軒」と世界一の大都市に変じて、急速に膨張し炸裂する京都という都会空間が必然的に生み出す〈悪〉、いわば社会悪と呼ぶべきものを巧みに描いています。そうしたテーマが、ここで反復され、戯画化されているのです。

  きわめて今日的な課題を先取りした、西鶴。みなさん方とご一緒に、その小説空間を堪能する日が来ることを心待ちしています。