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研究余滴

ミニ授業です。

パロディと江戸文学
大屋 多詠子(近世文学)

江戸時代、特に後期の小説や演劇には、荒唐無稽な話が多くあります。幽霊、化け物や妖術使い、神仙が登場したり、忠義に一途で、主君の身替わりに妻子を殺したりする、今では非情とさえ思われる人物も登場します。

曲亭馬琴(きょくていばきん)の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』はその最たる例といえるかもしれません。『八犬伝』は室町時代、安房国の領主であった里見家のために、犬の字を苗字に持つ不思議な縁で結ばれた8人の仲間(八犬士)が尽力するという話です。

ここでは八犬士のひとり犬村角太郎(いぬむら・かくたろう)その妻、雛衣(ひなぎぬ)の話をご紹介します。

雛衣は霊玉を誤って飲み下してしまい、やがてお腹がふくれてきます。夫、角太郎の両親に、不義の疑いをかけられた雛衣は言い訳できず、家へ戻されます。角太郎も親に逆らえず、木戸に鍵をかけて謹慎しているところへ、雛衣が外から夫へ呼びかけます。

「二人が中は高安(たかやす)の、井筒よりなほ縁し(えにし)は深き、ふりわけ髪の初(はじめ)より、親の結びし妹伕川(いもせがわ)、……外に花見ず、月見の船の、浮きたる恋にあらざれば、……紫鴛鴦(をしどり)も、及ばじと思ふ年を経て、夏の日子(ころ)より小腹(おなか)の病痾(やまひ)……この身に夤縁(まつは)る一期の浮沈。宿の仇浪(あだなみ)騒ぐとも、神を誓ひに肝(きも)むかふ、清きこころを君こそしらめ」

二人の仲は筒井筒の男女の縁よりも深く、振り分け髪の幼いころに親が交わした夫婦の約束で、心移りすることもなく浮いた恋であるわけでもなく、オシドリも及ばないほどの睦まじい年月を過ごしたのに、夏の頃からふとしたお腹の病で、一生に係わる大事になってしまいました、周囲が何と言おうと、神に誓って潔白な私の心をあなたは知っているでしょう、と雛衣は語ります。

「高安の井筒」というのは、『伊勢物語』二十三段で「筒井筒 井筒にかけし・・・」という歌を詠み交わした幼なじみの男女の話のことです。「花見」から「月見」、「船」から「浮き」という縁で言葉を引き出したり、「こころ」の枕詞の「肝むかふ」を使うなど修辞も優れています。また、この場面は『平家物語』の横笛と滝口入道の話を踏まえています。何も告げぬまま出家した滝口入道を、恋人だった横笛が訪ねてきますが、入道は追い返してしまうという場面です。古典を引きつつ、美しさと哀れさを備えた叙情的な台詞となっているだけでなく、七五調がリズミカルで「雛衣くどき」として愛誦されました。

この後の場面で、雛衣は、角太郎の父親、一角(いっかく)の眼のけがを治す妙薬として、胎児の生き肝と雛衣自身の心臓の血を要求されます。一角は実は化け猫が人間に化けているもので、このような残酷な要求をしているのです。角太郎は一角のあまりに非道な願いにいったんはあらがうのですが、親への孝行という道徳に縛られてあらがいきれず、雛衣はとうとう自害します。その腹からは霊玉が飛び出して一角を打ち、雛衣の懐胎の疑いは晴れます。一角が化け猫で、実の父の敵であることを悟った角太郎は、化け猫を退治して父と妻の恨みを晴らします。

霊玉による偽の懐胎、化け猫、血の妙薬という趣向をはじめ、妻の命よりも道徳を重んじる角太郎の人物造形も現実にはあり得ないようなものですが、状況が不条理であるからこそ、よりいっそう読者は、雛衣の悲劇に同情したのです。

江戸時代の読者は、非現実的なストーリーのなかに極端なかたちで描かれる人間の行動や喜怒哀楽を通して、身分や家に縛られた現実生活での鬱屈した感情を解放していたのです。

「雛衣くどき」が修辞・場面ともに古典のパロディとなっているように、江戸文学の基本的な性格のひとつとしてパロディもあげられます。江戸文学のパロディの多種多様な魅力にあふれています。みなさんも江戸文学に親しんでみませんか。