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研究余滴

ミニ授業です。

和歌というもの
廣木 一人(中世文学)
大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし

これは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が故郷、大和へ帰る途中、死を悟って詠んだ歌と『古事記』に書かれています。国粋主義的に利用されたりするといやですが、ひとりの人間が故郷への思いを幻影の中に見たと考えると、だれしもがよくわかり、共感できる歌だと思います。

皆さんはよく歌を歌いますね。嬉しい時、寂しい時など、特に一つ一つの歌のことばが心の中に染みいると思います。

今はリズムもメロディーも歌詞もさまざまで、一定の形というものはないようですが、昔は歌にはもう少し定まった形がありました。恐らくどの国・民族にもそのような歌がありました。人々は気持ちの高まりともに、自分自身のため、またそれを人や神などに伝えるために、歌の形で自分の思いを表現したのです。上にあげたものは、まだきちんと形が整っていませんが、いつか幾つかの形ができ、その中で五七五七七という短歌の形式が主流になりました。そして主としてこの短い形で、日本人は人の心や四季の諸相を千年余表現し続けてきたのです。

うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも独りし思へば

これは『万葉集』の編者に目されている大伴家持の歌です。この歌には「痛み悲しむ心は歌でなければ払うことはできない」という説明がついています。これは家持という人の孤独な心の吐露なのでしょう。季節は春、でも私ひとりは悲しい心にうちひしがれている。皆さんもこのようなことがあったと思います。その時、みなさんはどのように慰められ、人に分かってもらおうとしましたか。そっと、または大声で歌を歌いましたか。

『土佐日記』で著名な紀貫之は、『古今集』の序文でこう言っています。

やまと歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。…心に思ふことを見るもの、聞くものにつけて言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。

最後に『新古今集』にある藤原定家の歌をあげてみます。

春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空

「春の夜」とはどのような夜でしょうか。冬は夜が長い、それが次第に短くなっていきます。そのような夜ですね。しかも春。春は何か淡い期待が芽生える季節です。その夜に見た夢、わずかに期待に胸をふくらませた恋の夢?「浮橋」とは小舟などを並べ、板を渡した橋です。向こう岸に渡れるようでそうでもないような揺れ動く危うい橋です。

「春の夜の夢の浮橋」からどのようなことが感じ取れるでしょうか。はかない恋への期待でしょうか。しかし、それも「とだえ」てしまいます。この語句の中に『源氏物語』の巻の名が含まれていることに気づくでしょうか。最終巻、薫と浮舟の悲しい恋の物語を描いた巻の名です。悲しくつらいけれども、「恋」というものはそのようなものなのでしょう?目が覚めて外を見たら、ほのぼのと明けて行く空に見える峰から恋の終わりを告げるかのように、雲が離れていった、と下の句にあります。

日本人が長くかかって熟成してきた言葉、心と自然との交錯という表現方法。人の心をどのように表現し伝え得るかの至りついた一つの形がここにあります。

文学では腹はいっぱいにならない、風邪も治らないかも知れません。しかし文学は、人として大切な心を歴史を、人間にしか扱えない言葉で伝えてきました。抽象的な言い方ですが、ここに「人」そのものがあると言ってもいいと思います。それを文学、中でも和歌は凝縮した形で皆さんに示してくれるのです。