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会報
第40号
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論評の試み

第133回 芥川賞(上半期)
中村 文則 『土の中の子供』を読む


【梗慨】
 <私は土の中で生まれた。親はいない。暴力だけがあった。ラジオでは戦争の情報がながれていた―。主人公は27歳の青年。タクシーの運転手をして生計を立てている。親から捨てられた子供たちのいる施設で育ち、養子として引き取った遠い親戚は殴る、蹴るの暴力を彼に与えた。彼は「恐怖に感情が乱され続けたことで、恐怖が癖のように、血肉のようになって、彼の身体に染みついている。」彼の周囲には、いっそう暴力が横溢していく。自ら恐怖を求めてしまうかのような彼は、恐怖を克服して生きてゆけるのか。主人公の恐怖、渇望、逼迫感が丹念に描写される。

1B 久我 徳子
 この小説は、何かに依存し、固執し、囚われがちな人々の姿を提示している。「暴力と釣り合うような喜び」を見出せない日常に失望し、自虐行為に走る主人公は、「個人的な問題に囚われすぎている」我々現代の若者の姿に他ならない。
 虐待の末に土の中に埋められた時、主人公は曖昧にではあっても「自分の人生を自分で生きる」べきだと気付いていた。しかし彼は、日常に幸せを見つけようとせず、そのまま生きる気力を失ってしまった。そして自らを追い込むことで、自分で生きることの出来なかった幼少の頃のように、流されるままに生きてきた。彼が求めた恐怖の先にあったものは克服や抵抗ではなく、生きようとする意志であったのだろう。
 物語の最後で主人公は、彼なりの方法で過去を清算し、自分の力で前向きに生きようとし始めた。おそらく虐待やトラウマは、自傷癖のある主人公という極端な例の背景として利用したに過ぎないのだろう。主人公の抱える問題には、これから真の意味で自立しなければならない我々に共通するところがあるのではないかと思った。

1D 根葉 春奈
 暗い。そのことばを幾度となく呟きながら、それでも読まずにいられなかった。それは決して物語が面白く、引き込まれてゆくせいではない。何か大切なことを忘れそれをを思いだそうとしているようなもどかしい感覚が、読めば読むほど高まってくるからだ。こちらにまで主人公の感じているそのような追い詰められたような狂気のようなものや、皮膚をちりちり焼かれるような焦燥が伝わってくるのは、感覚的な表現が妙に細かいせいであろうか。その表現力は凄いの一言で片付けるには余りに生々しい。
 幼い頃虐待を受けた主人公と、子供を堕ろして不感症になったヒロイン。親に愛されたことのない男と親になり損ねた女。現代社会に関するレポートの宿題のようなストーリーで、私には正直面白いとは思えなかった。ただ、主人公の生きている喜びを探すため死に限りなく近いところまでいくという矛盾に満ちた生き様は、ただなんとなく生きているだけという現代人には真似出来ないものなのかもしれない。
 愛とは違う何かで惹かれあい、互いに依存しあい、傷を舐めあう主人公とヒロインには救いがあるのか、彼らは幸せになれるのか、私にはよく分からなかった。

1D 鈴木 えみ
 恐怖を求める主人公に、始めは気味の悪い印象を受けた。死にたくもないのに死の恐怖を味わおうとする人間など、理解が出来なかった。
 しかし彼のように、死にたいわけでもなく、生きる目的があるわけでもないという人は意外に多いのではないか。特殊な環境に育った主人公と同じ目線でものを考えることは不可能だろうが、漫然と生きていて自分の生を見失ったような感覚に捕われることが、少なくとも私には、ある。ただ生きること自体が目的の生ならば、今すぐ絶ってしまっても何ら変わりはないだろう。そう思うことがある。
 何故生まれたのか。何故生きるのか。その答えを探すのは、人間の、いわば宿命だろう。この作品は、その根本的であり重要な問題を特殊な性質を持つ主人公を通して投げ掛ける。
 自分の求める恐怖は克服するためのものだと悟った彼は、生きる希望を見出せたのだろうか。自分は土の中から生まれたのだ、と説明する彼は、果たして新しい自分を生きることが出来るのだろうか。これについては是非多くの方の意見を聞きたい。

1C 椿 紀子
 胎内潜り。
 読後の余韻に浸りながら、抱いたこの作品に対する率直な感想だった。胎内潜りとは、生まれ変わりの信仰に起因する民間習俗である。仏像の胎内や洞穴と言った暗くて狭い場所を潜り抜けると、人間は生きながらに生まれ変わることができるのだとか。ならば虐待の末に地中に埋められ、自力ではいでできた「私」もそのときに生まれ変わったと言えなくはないか。そんな考えが脳裏をかすめた。土から生還した日が彼の新しい誕生日で、土の中が彼を育てた子宮で、野犬に向かってあげた叫びが彼の産声だった。彼は自分に対する理不尽な暴力に抗議し、それらすべてを駆逐せんとして、再生したのだ。ところが、いざ目を開けてみると周囲はあまりにも平和で、彼は自分の存在意義を感じられなかった。自分の居場所が分からなくなった思春期の子供と同じだった。だから彼はあえて自分を、叱られたり私刑の標的になるように仕向けたのだ。しかし、反抗期の終わりは、あっけなく訪れた。作品の最後に、彼はとても穏やかになっている。そして私は気づいた。この話は、土の中の子供の前世の記憶と成長記録なんだと。

2D 佐藤 孝仁
 主人公の血の中には酸素の代わりに恐怖がとけこんでいる。恐怖は彼にとって生を実感するための麻薬のようなものとしてあった。死と生の狭間でしか自己を感じることができない<私>は、普通の人々とは違うチャンネルを見ているように確実にずれている。幼児虐待にあい、今なおそのトラウマに苦しむ若者は、ラストで善意の人々の存在を確認し、現れた実父に会うことを拒否し、「僕は、土の中から生まれたのですよ」と、決然として再生へ向けた一歩を踏み出す。そういう救いと自立の姿を描いた作品ともとれる。<私>が普通の世界と折り合いがつかないことや屈折した心理からの奇矯な振る舞いについて、読み手としては同情しこそすれ、揶揄し、あるいは非難することは出来ない。しかしながら、暗い、暗すぎる。そして理屈が多いこともまた私に生理的な抵抗感を覚えさせた。

【選評抜粋】
(『文藝春秋』05年9月号)

▲黒井千次「親に捨てられ孤児として虐待されつつ育った主人公の体験をトラウマとして捉える意見があったが、そうではあるまい。ここに見られるのは原因と結果との単なる対応ではなく、より意志的な、過去の確認と現在の模索の営為ではなかろうか。それが仄かな明るみを生み出して作品が結ばれるところに共感する。」▲山田詠美「不感症の原因が死産。いかにも若い男子が考えそうなことですな。ほんとは主人公が下手なのかもよ。でも、小説を構築しようとしている作品はこれだけ。」▲村上龍「文学的な<畏れ>と<困難さ>を無視して書かれている。深刻さを単になぞったもので、痛みも怖さもない。そういう作品の受賞は、虐待やトラウマやPTSDの現実をさらにワイドショー的に陳腐化するという負の面もあり、私は反対した。」▲河野多恵子「中村文則さんは今回の候補作でも暴力を、今度はネガティブな像で書いているが、非常に難しいことではあるにしても、人間の内部に確実に触れるには到っていない。とはいえ、物や小生物を落下させるくだり、さらに自分を落下させた場合の想像の表現は、尋常ならぬ見事なものだ。資質を感じさせる。」

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