在校生のメッセージ
《生意気さ》と《謙虚さ》と
M1 大類 隆明
学問研究は頂のない高峰に喩えられます。タイトルに挙げた二つの要素は、大学院に籍を置きその高峰に挑むために必要不可欠な二本のピッケル(二本一組の登山用杖)だとわたくしは考えています。
貴方の在籍する学部課程以上に、模倣ではない《貴方自身の論理》が様々な場所において要求される場が大学院です。独創的論理はカオスの裡から自然発生的に生成されるものではありません。先行研究の相対的把握、論理的整合性の吟味の蓄積の上にこそ、それは構築されます。異見の存在を知らなければ、独創的か否かを判断することはできないからです。その構築のためには、先行研究を踏台にしてやろうという《生意気》な感覚が必要だと思うのです。換言すれば、それは高峰を仰いでの《野心》といってもよいでしょう。
いっぽうで、客観的に見ればわたくし達大学院生はやっと高峰に足を踏み入れたに過ぎない存在です。自身が正しいと信じて疑わない論理もまた、相対化されるものであることを忘れずにいたいものです。《生意気さ》だけではなく、学問に対する《謙虚さ》も必要だと思うのです。
《生意気さ》だけでは自意識過剰。《謙虚さ》だけではエネルギー不足。両者は一見すると相反する要素ですが、その実この二つの要素は表裏一体の関係にあり、両者のバランスこそが肝要だといえます。
どちらか片方のピッケルにばかり体重を預けていては、必然的に体は傾き、健全な平衡感覚は次第に失われ、やがて登山を続けることは困難となるでしょう。ピッケルは二本で一組。左右夫々に均等に体重を預けることによって、着実に前進することができるのです。
わたくしがそうであるように、最初のうちは滑って転ぶことばかりかもしれません。けれども、わたくしはそうした失敗の蓄積の先に、いつか新たな登山道を拓くことを夢見ています。その路を歩んでいる間に、未だ誰も見たことのない《花》を見つけてみたいという願望を抱いているからです。
教育実習記
4A 内藤 敦至
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日本文学科では、@中学国語、A高校国語の免許を取得できます。片方だけ取得したい人は二週間、@A両方取得したい人は三週間の教育実習を義務付けられています。 |
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時期は四年生の夏か秋です。実習先には母校を選ぶのが通例ですが、事情があってそれができない人には、大学側が実習先の学校を紹介・斡旋してくれます。 |
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実習が始まると、三種の立場の相手とコミュニケーションを取る機会が生じます。(1)生徒、(2)教師、(3)実習仲間です。 |
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(1)実習生は授業だけでなくホームルーム指導まで任されるので、生徒と接する時間は予想よりも多いです。彼らはたいてい「まぁ、彼も実習生だから」というフィルターを通して接してくれるので、交流にあたって思いのほか苦労はありませんでした(もちろん生徒も人間である以上、相性面での当り外れは確実に存在します。私の場合は非常に恵まれていました)。 |
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(2)教師について。実習期間中に大切なのは「好きな先生」よりも「担当教科の先生(私の場合は国語科の先生)」との付き合いです。お互いの授業を見学する(見学される)ことになるからです。現役時代に知らなかった先生が担当教科にいた場合は、早めに挨拶しておくのが望ましいと思います。 |
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(3)実習生は通常「実習生用控え室」のような部屋に全員まとめてデスクを与えられます。他に居場所が少ないので、この部屋では決して諍いを起こさず、平和にやり過ごせるよう注意しましょう(三週間は意外と長いものです)。 |
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教師はしばしば「公務員と同じくらいラクで好待遇」というイメージを持たれがちではありますが、実際に実習に行くと、その激務ぶりには驚かされます。授業準備にイベントに会議に雑務処理、部活動顧問… 学校を出るのは実習生でさえ午後八時。実習を経験した人は口を揃えて「教師は好きでないと務まらない」と漏らします。私も同感です。生徒に根拠のない情熱や理想を押しつけるのにも問題がありますが、かといって何のやりがいもなく「仕事と割り切って」できる職業でもありません。教職志望の方はそのあたりをよく考えてみて下さい。 |
就職活動記
4C 井上 麻希
聞くところによると百社近くエントリーしたという人もいるらしい。まだまだ就職難の時代は続く。
私はと言うと、その十分の一程度しか活動しなかったことになる。けれども早々と内定が決まったわけではない。企業側も多角的に学生を見定めようとするから、何度も面接を受けたし、書類選考に筆記試験にグループディスカッションに作文に…と内定までの道のりは気が遠くなるようなものだった。もともと拘束されることが苦手な私は、企業から連絡が来るまで先々の予定が立てられない状況に僅か一ヶ月で飽きてしまった。確かに、会社の代表や重役の話は学生の私には新鮮だったし、同じ道を目指す人との出会いも良い刺激になった。けれども、私は会社に入るために時間を浪費するよりも、入って後に生かせることに時間を割きたかった。だから就活中も、それまでと変わらず様々なことを両立させ、新しいことにも取り組んだ。その反面、私は面接等のセミナーに参加しなかったし、筆記試験の対策・自己分析のためにわざわざ時間を割くこともしなかった。
それらは私には必要のないことだった。つまり、自分に必要なことを見極めたということだ。大量の情報に流されるのはとても簡単だけれど。
今まで自分が何をしてきたのか、その経験を基に何ができるのかを売り込む。私にとっては苦にならない活動だった。自分の考えを話すことが好きなので、むしろ面接は好きだったし、自分が今までやってきたことにも自信があった。語ることもたくさんあった。それでも、集団面接の中で、飲食店の立ち上げに関わったという人や、経営に関する専門用語を使いこなす人達と出会って、今までやってきたこととの差を見せつけられたりもした。だけど後悔しても仕方がない。今の自分を信じるしかないのです。自分の力を必要としてくれる企業があるはずだと。
卒論について
4B 織田 真理
日本文学科に入学した者なら、誰しも通る卒業論文作成。今回は、その論文作成について紹介させていただきます。
まずは、三年生の十二月に卒論のためのオリエンテーションが開かれます。その段階で卒論を意識しつつ、卒論指導をしていただく先生や内容を考えはじめます。そして、四年次初頭に履修登録をし、五月末に題目届を提出、十二月中旬(十五日前後)の卒論提出に向けて論文を作成します。提出後、年明けの一月下旬から二月初めには、口頭試問が行われます。以上が全体の流れです。
卒論指導にあたる先生、ゼミの方針によって具体的な進め方は様々です。私の所属していた卒論ゼミでは、七月に一回めの中間発表、夏休み明けに二回めの中間発表、そして青祭期間前後に、全体の草稿の提出がありました。草稿を基に、十二月の提出に向けて、更に内容を推敲し、補足したり、入れ替えたり、削ったりします。二回めの中間発表以降は、ゼミ生一人一人が個人的に先生の所へ相談に行くのですが、相談に来る回数の多さで卒論の出来ばえが決まると言われてしまいました。
これまでに大きな論文を書いたことがなく、どう進めていいか分からなかった私にとって、このようにゼミで中間発表の機会を設定していただくことで、リズムが作れたように思います。また、ゼミ生同士で、互いの進度を確認したり、会話したりすることで刺激を受けました。
日文では、三年次に二つの演習をとり、ある程度自分の方向性を定められるようになっています。特講なども含めて様々な科目を受講し、最も関心のある領域を考えて、四年生になった時点で指導してくださる先生を選んで下さい。人によって感性が違うので、他人の意見は参考にする程度に留めておきましょう。また、五月の題目提出の際に、教育実習や就職活動が重なる場合があるので(私もそうだったのですが)、早い段階で先生の所に行き、題目についての相談をしておいたほうが良いでしょう。四年間で学び感じとったものを総て活用して、納得のいく卒論を作成してください。