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会報
第39号
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<卒業生が語る――日本文学科を卒業して>

今の時間を大切に
並木 史一

  大学を卒業してもう十年近く経ちますが、私にとってこの十年はあっという間でした。皆さんも身近な先輩たちから、社会に出ると時間がないという話をよく聞くことでしょう。
 卒業間際に大学院受験に失敗した私は、夏まで勉強して地元群馬県の前橋市役所に就職しました。就職の動機が不純だった一方、仕事は、それで生活する以上責任を果たさねばと思い、がむしゃらに働きました。最初の所属は農政課。農業のことなんて全然知りませんでしたが、先輩たちの見よう見まねや、農家の人たちに教わりながら働きました。次に現在の広報広聴課に異動し、市民の意見を聴く係に務め、今年の春から係を替わって、市民へ配布する広報を編集しています。

 地方公共団体は、異動になるとほとんど転職に近いほど異なる仕事をすることになりますから、スペシャリストよりもゼネラリストが求められます。日本文学科で学んだことは、直接は何も関係ありません。しかしながら、大学時代に過ごした時間は、その後の自分に大きく影響します。第一に、友人たちと過ごした時間もそうですし、それに加えて日本文学科は文学研究を学ぶところ。大学レベルの文学研究は、作者の気持ちを追ってただ感想を述べるだけではなく、文学という素材を通して、哲学に近い物の見方、考え方の方法論を学ぶことであるはずなのです。

 慌ただしい社会の中で、常に自分の考え方を持っていることは大切なことです。その考え方の基本を作るのは、時間のある学生時代にしかできないことです。私自身も大したことはできませんでしたが、講義は新鮮に聞き、先生の研究室でボーッと考え事をしていました。せっかく文学部で学んでいるのですから、物事をじっくり考えるチャンスは他の学部より多いはず。今の皆さんの貴重な時間を大切にしてください。

一九九六年卒/現在、前橋市役所勤務

いま、思うこと
足達 香織

 大学を卒業してはや六ヶ月。在学中のことを振り返ってみると、学科の勉強に教職の勉強に部活にバイトと、いろんなことに手を出してきたように思います。そして、元来の“欲張り”な性格が災いしてか、そのどれに対しても手を抜くことができず、がむしゃらに四年間を駆け抜けてきました。その甲斐あって、充実した大学生活を送ることができたと思います。大学三年生の時には卒業後の進路について真剣に悩み、結局、縁あって〈出版〉という世界に入ることとなりました。もともと“文学”が好きで日本文学科に入ったので、“文学”と無縁ではない〈出版〉という世界に入ることができて、良かったと思っています。

 私の現在の仕事は、いわゆる〈出版〉における花形の“企画”や“編集”ではなく、“事務職”にあたるもので、その時々によって広範な仕事をさせていただいています。入社したての頃は、ちょうど採用の時期にあたっていたので、人事の事務方のような仕事をしていました。昨年は自分が採用される側だったのに、今年はまったく反対の側に立つことになったので、不思議な気がしたものです。

 社会人になって実感したことは、学生の時とは比べものにならないくらい“自己管理能力”というものが必要とされる、ということでした。九月になって風邪を引いたのですが、周りにも迷惑をかけるし、また自分自身も辛く、“自己管理能力”を身に付けることが真の社会人となるための必須事項なのだと痛感しました。

 学生時代に学んだことは、仕事をする上で少なからず役立っています。たとえば、先輩や上司と接する際、部活での上下関係を思い返してみたり、何か仕事上調べものをしなければならない時は、学生時代に諸先生から学んだ“資料の検索法”を応用してみたり──といった感じです。

 学生の時は、「学生と社会人は、まったくの別物」のように感じていたものですが、実際には、根っこのところでしっかり繋がっているようです。目下、学生時代を謳歌中の皆さまには、ぜひ社会人となった時のためにも、力いっぱい様々なことに挑戦して、ものの考え方やノウハウを身に付けていくことをお勧めします。そうしたことが、後々自分のためになるのではないかと思います。

二〇〇四年卒/出版社勤務

日本語を教える仕事を経験して
土屋 菜穂子

 2002年3月から2004年2月までの二年間、韓国の大邱広域市にある啓明大学国際学部日本学科で招聘専任講師として授業を担当しました。

 日本学科では2年生の作文・時事日本語、3年生の会話・インターネット日本語、大学院の日本語通訳・翻訳を担当し、また大学の教養科目として一年生の生活日本語会話を担当しました。どの科目も印象に残っていますが、教養科目の生活日本語会話が特に印象に残っています。これは日本語入門者用の科目で、学生が新しい言語と出会い、語彙や表現を楽しみながら学んでいる様子を見ることができたのが何よりもうれしかったです。また、私自身も韓国語と日本語の両方を使ってプリントを作成したり授業の説明をしたりという試みを行いました。「先生」である私が、彼らの言語を用いる時は綴りや発音の間違いを学生に指摘され、私自身緊張感とおもしろさを最も感じることのできる授業でした。

 日々の仕事や学生とのかかわりの中で強く感じたことは、日本語を教える仕事をする場合、自分自身が日本語に強い興味を持っていることが必要だということでした。例えば学生から質問を受けた場合、自分でもその問題に興味を持ち、積極的に調べて学生に分かりやすく教えようという意欲がないとだめだということです。

 また、日本語への興味や専門的な知識と同時に、人としての何かが必要であると思いました。学生は外国語を話す恐怖心や、学生同士の成績争い、そして日々の努力の積み重ね等、日本語を習得するためにさまざまな困難と闘っていました。そんな彼らを何とかサポートしたいと思い、無我夢中で過ごした二年間でした。

 日本語の教師としてはまだまだ未熟ですが、今後は日本語教育学の知識も学び、経験を重ね、専門知識の面からも、またそれ以外の面からも日本語を学ぶ学生をサポートできる教師になりたいと思っています。

大学院博士後期課程

学んだことを生かして
鈴木=フラマン 裕子

 卒業してからも何とか勉強を続けたいと思っていた私は、大学4年になる前からいろいろと方法を模索し始め、結局西洋美術史を勉強する夢を捨てきれず、留学を思い立ちました。授業料、生活費の低さからドイツ留学を決心した後は、卒論以外の時間をドイツ語の基礎習得に費やし、卒業直後の96年4月にドイツ・フライブルクに渡り、98年春にハイデルベルク大学の美術史学科に入学しました。

 美術史は文学などと同じように、ヨーロッパでは一般にとても人気があるものの、就職に結びつきにくい分野です。そこで私は入学と同時に企業研修先を探し、履歴書を配り歩いた結果、最初の夏休みを地元のオークション会社で働けることになりました。ここで東洋美術の調査、翻訳などを担当したことが、大学で東洋美術史も専攻し始めるきっかけとなりました。西洋美術史ではライン河上流とアルザス地方のゴシック建築の研究にフランス語が必要で、東洋美術史では日本の外では英米が研究の中心という関係から、英語が不可欠です。もちろん授業はゼミ形式でドイツ語で発表しなければならず、全てを並行して勉強するため、まさに机にかじりつく毎日でした。しかし外国語習得に力を入れたことが後にオークション会社のクリスティーズに就職する上で非常に役立ったと思います。

 在学中にクリスティーズの研修生に応募して採用された私は2000年にイギリスに移り、4ヶ月の研修後、正社員となりました。東洋美術の担当になりたかったのですが、東洋美術は美術界におけるマーケットも大きく、かなりの人気で、社内にはその職を狙って何年も待っている人がいました。それで、ロンドンの東洋美術商のひとりから2002年にリサーチャーとしてのポストを提供されたとき、思いきって移ることにしました。

 現在の業務内容は、美術品に関する調査、資料の翻訳のほか、ロンドンとニューヨークで毎年行う展覧会の企画運営、それに伴うカタログの執筆やPRなど多岐にわたりますが、今まで勉強したことを活用できて、とても充実しています。

 卒業直後の私が「これから三ヶ国語をマスターして外国の美術業界で働く」などと公言しても信じられる人はいなかったでしょうが、将来に対して抱いていた、漠然としたヴィジョンに導かれて地味な努力を重ねられた気がします。人間は夢があれば努力できるものだし、努力次第でどんなことでも克服できるものだと思います。

 最後に、私が常々思っているのは、たとえ外国語ができても、語るべき内容がなければ仕方がない、ということです。今の仕事で役に立っているのは日本で学んだ古文や漢文の知識、歴史的文化的背景に関する理解です。卒業してからも漢文やくずし字まで読む機会に恵まれている(?)人はそういないでしょう。これらを外国語という「手段」を使って人々に伝えられることにとても喜びを感じています。今、変体仮名やくずし字の解読に悩むことが、明日の国際理解につながる(かもしれない)と思って、日々の勉強を大切にしてください。

一九九六年卒/ブライアン・ハーキンズ・オリエンタル・アート、アートリサーチャー

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