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読書ガイド

おすすめの書籍を紹介します。

姫野カオルコ『昭和の犬』(幻冬舎)
川口則弘『直木賞物語』(バジリコ)
福山琢磨・植村鞆音(ともね)『直木三十五入門』(新風書房)
片山宏行(近代文学)

姫野カオルコ『昭和の犬』(幻冬舎)

第150回直木三十五賞を日本文学科卒業生の姫野カオルコさんが受賞しました。対象作は『昭和の犬』(幻冬舎、2013年9月)です。カバーの題字には犬の写真に添えて「Perspective kid」の副題があしらわれています。「遠近法の子」とは、この作品の主人公「柏木イク」という女性のこと。彼女の5歳から平成20年までのほぼ50年の半生を遠近法的に回想するというのがこの作品の構成です。半生記といっても、波乱万丈の物語ではなく、昭和30年頃の日本に生れて現在にいたる大方の女性・男性には、「自分もそう言えばそうだったな」と思えるような日常の場面、人と人との交錯が淡々と綴られている穏やかな記録です。そして、そこにはつねにさまざまな犬(ときどき猫)が登場し、主人公の心象をたくみに綾どり、しみじみとした感慨に読者を引き込みます。 姫野さんは今回の受賞まで4回も直木賞にノミネートされています(1997年『受難』、04年『ツ、イ、ラ、ク』、06年『ハルカ・エイティ』、10年『リアル・シンデレラ』)。いわば直木賞候補の常連で、すでに熱烈なファン層を持った実力派作家です。つねに読者の意表を突き、くり広げられる作品世界は多岐にわたり、その作風を一括してレッテル貼りするのはなかなか難しい。むしろその変幻自在さが姫野さんの魅力というべきでしょう。

ただ、その多才さがかえって直木賞受賞を遅らせた、つまり姫野ワールドの多様さが、ある意味つかみどころのなさとして仇となっていたきらいがあったかと思うのです。その点、今回の審査員の選評(『オール読物』2014年3月臨時増刊号)を見ると、作者(視点人物)と世界との距離感=パースペクティブの巧みさを指摘する声が目立っていますが、この共通理解は、本作の魅力の核心をとらえたものであると同時に、選者たちの一種の<安心感>をも反映した賛辞ではないかと思われます。読者は作者のケレン味のない作行きに導かれつつ、なだらかに身をまかせて着地する――これは姫野さんの作品にはめずらしい平穏さに満ちた境地です。「品性」という言葉で本作を評した審査員が二人(浅田次郎・伊集院静)いましたが、これは多分にこの<安心感>に通底する感想といえるでしょう。ですからこれを裏返すと「圭角が失われ」「もっととげとげしくてよかったのではないか」(宮城谷昌光)という評言、つまりこれまでの挑発性をはらんだ姫野さん的世界への愛惜の言葉も出て来るわけです。

さて、わたしはこれら審査員の見立て(調和的で親和性のある新たな境地の完成)は、たしかにその通りだと思います。しかし反面、どこかに「してやられたのでは……」という気持がくすぶっているのも事実です。というのも、主人公の「柏木イク」を、読者はいつのまにか作者の姫野カオルコさん自身に重ね合わせて読んではいないでしょうか。イクの生い立ちや年齢設定など基本的な部分は、カオルコさんのブログやエッセイ、その他ジャーナリズムに公表されている情報などと一致するようです。また、わたしのような同世代読者は、作中に書き込まれた折々の時代相、章立てに使われているTV番組のタイトルといった何気ない、しかし緻密に張りめぐらされたレトリックに巻き取られながら「自分はいい時代に生まれたと思う」というエンディングに導かれると、(そのとおりだなあ。これは50歳を区切りに人生を振り返った姫野さんならではの回想記なのだ)、と勝手に思い入れをしてしまうのです。 けれども、本作をそのように私小説的に了解するだけの根拠を、われわれは持っているでしょうか。姫野さんが直木賞を受賞したという一報を耳にしたとき、反射的にわたしが思い浮かべたのは、かつて彼女のブログで見た加藤茶のハゲおやじに扮したステテコ姿の姫野さんでした。姫野さんは素顔を出さない作家だということは、つい最近まで半ば伝説化していました。職業がらジャーナリズムでの露出はやむをえない、だがそれもあくまで仮りの姿で、素顔は極力見せない。自分もふくめて丸ごとフィクション――これが姫野さんの作家美学だとわたしは理解していました。だから『昭和の犬』も、今度は自叙伝的筆法で読者を手玉に取る新たなカードを完成したのではあるまいか、などと憶測したわけです。

ところが、テレビのなかで記者会見に現れた姫野さんは、ジムから駆けつけたというジャージ姿=素顔でにこやかにフラッシュを浴びている。(やっぱり、姫野さんは吹っ切れていたのだ。『昭和の犬』は「姫野カオルコ半自叙伝」だったのだ)と思い直しました。 が、翌日「天晴れ日文!」の余韻にひたりながらパソコンを立ち上げると、一人の卒業生から届いていたメールに絶句しました。「先生、姫野さんやりましたね。ところであのジャージ気がつきました?NIKEですよ。ナイキ、直木ですよ」――。


*直木賞と直木三十五についての参考書もあげておきました。あわせてお読みください。