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佐竹昭広『民話の思想』
佐伯真一(中世文学)

佐竹昭広『民話の思想』

大学で日本の古典文学を研究するとはどういうことか、はっきりしたイメージを持っている高校生はそんなに多くはないでしょう。とはいえ、たとえば『源氏物語』の本文を研究するとか、『万葉集』の歌人について研究するとか、いくつかの具体例が浮かぶかもしれません。でも、文学研究というものは、実にいろいろなものを含んでいて、とても一口には言えません。ここでは、たぶん、あまり知られていない古典文学研究の一領域をご紹介してみましょう。

この本は、狂言に出てくる「又九郎左衛門」という人物の名前から始まります。著者はそれを、「またし」(またい)、つまり、正直とかマジメとかいうような意味を含んだ名前ではなかったかと考えます。今なら、「マジ男」君とでもいう名前でしょうか。

では、その名前にふさわしい人物は、どんな人なのか。著者はそのモデルを、昔話の世界に生きている正直じいさんに求めます。「舌切り雀」や「花咲かじじい」、「ネズミの浄土」(おむすびコロリン)といった、おなじみの昔話に出てくる、正直で心やさしい、あのおじいさんたちです。

え?昔話が「古典文学」かって?いやいや、『宇治拾遺物語』や『沙石集』などの説話集や、あるいはお伽草子と呼ばれる作品群など、中世(鎌倉~室町時代)の文学には、今では「昔話」とか「民話」「童話」として知られている物語が、たくさん見られます(もちろん、他の時代にも見られますが)。お伽草子の中には、「屁ひりじじい」という珍妙な話型に基づいた『福富長者物語』なんてのもあって、本書の中で重要な位置を占めています。

さて、その正直じいさんたちは、いい人だったおかげで、隣の意地悪じいさんや強欲なばあさんと違って、幸運に恵まれ、宝物をもらったりして、幸せに暮らすことができます。それはなぜでしょうか?「善い人には善い報いがある」という考え方は、「因果応報」ということばで表すことができますが、これは仏教のことばです。仏教は、古くから日本に伝わりましたが、本来の日本人の思想ではありません。昔話のような庶民の物語が、もともと仏教の教えによって作られたわけではないと、著者は考えます。では、そんな物語を支えていたのは、どのような考え方だったのでしょうか。

天才が考え出した難しい思索を追究するのも、もちろん文学研究ですが、こんな風に、名も知れない無数の普通の人々が考え、語り継いだ物語を、いろいろな角度から考えてみるのも、文学研究の一つのあり方です。そうした研究は、現在の私たちが何となく身につけている考え方の根本を、照らし出してくれるかもしれません。古典文学の研究が現在につながるというのは、たとえばそんなことであるわけです。

著者の佐竹昭広(1927~2008)は、『万葉集』の難しいことばに関する研究をものするかと思えば、こういう昔話や庶民的な作品についても鮮やかに分析してみせるという、雄大で自在な研究者でした(現在、『佐竹昭広集』が刊行されています)。『万葉集』の研究にも民話の研究にも貫かれているのは、一つのことばを広い視野から徹底的に調べ、その意味を生き生きと浮かび上がらせる方法です。そのみごとな手際は、文学研究の一つのお手本といえるでしょう。是非一読して、なるほど、こういうのも文学研究か、と理解してください。

*『民話の思想』(平凡社)。『佐竹昭広集』(岩波書店)では第三巻『民話の基層』所収。