みなさんは、「古典」ということばにどんなイメージを抱くでしょうか。
おそらく多くの人が、何か漠然とした価値があることは承知しつつ、しかし、古めかしくてつき合いにくいもの、また何か重圧感を感じるものとして受けとめているのではないでしょうか。若いみなさんのそうした感覚は、よくわかります。
しかし、未来に向かって生きている私たちに、「古いもの」である古典がなぜ価値を持つのか、不思議だと思いませんか。古典が常識として収まってしまわずに、読みつづけられてきているということ。それは、古典は「古くならない」からなのです。時代が移り変わっても古くならないとは、どういうことでしょうか。
この本の著者に答えてもらいましょう。
古典が偉大なのは、たんにそこでいわれていることじたいによってではなく、そこでいわれようとしていること、すなわちそれが私たちに投げかけている志向性の影によってである。
「志向性」とは、簡単に言うと、どのような方向に向いているかということです。ここで著者が言いたいことは、古典は、すでに書かれてしまった結果としてだけ読まれるものではなく、書かれたことの中に秘められている可能性も読めるものだということ、その豊かな可能性があるからこそ、古典は古典として読まれつづけてきた、ということです。
この本は、そうした古典の持つ魅力と、それを学問として扱うことのむずかしさとおもしろさとを存分に語ってくれます。
古典を大切にしたい人はもちろん、古典がどのような意味を持つのかじっくり考えたい人や、古典の学問とはどのようなものか知りたい人に、ぜひとも読んでほしい一冊です。
* 西郷信綱(さいごう・のぶつな)(1916- ) 古典学者。
『古事記研究』『詩の発生』『古代人と夢』など、著書多数。