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バンジャマン・ラザール氏講演会及び公演

バンジャマン・ラザール氏講演会および公演 (2006.9.26/27)

モリエールのコメディー=バレエ『町人貴族』の演出で名高いバンジャマン・ラザール(Benjamin Lazar)氏をお迎えし、2006年9月26日(火)と27日(水)、青山学院女子短期大学L402教室を会場に講演会および公演が開催された。一日目は「17世紀におけるフランス人俳優の演技術について」と題する講演が行われ、これを受けて二日目には、ラザール氏に加え、女優ルイーズ・モアティ(Louise Moaty)氏による、詩的・演劇的作品「いかにも、私は夢見ている」が上演された。一日目にはおよそ70名ほど、二日目には120名ほどの学内外の参加者があり、両日ともに盛況を呈した。

   

講演「17世紀におけるフランス人俳優の演技術について」

一日目は、ラザールとモアティ両氏によって、バロック朗誦法や演技術についての講演がなされたが、17世紀のフランス人俳優の所作について、緻密な文献調査に基づく実演を交えての講演は、説得力にあふれるものであった。ラザール氏はまず、高校時代に、演出家ウージェーヌ・グリーン氏と出会い、その教えを受けたことにより、演出家、そして俳優を志すことになった経緯を語った。さらに、東洋の芸術の発見が西洋の演劇人たちに多大な影響を及ぼしたことを指摘した。たとえば、アルトーはバリ島演劇について書き、クローデルは日本の演劇について書いた。演出家アリアーヌ・ムヌーシュキンは、『堤防の上の鼓手』において文楽の手法を直接的に取り入れている。これに対して、ラザール氏のとる方法は、東洋演劇の手法を模倣するのではなく、たとえば歌舞伎などにおいて、ある演目の継承がテクストのレベルのみならず、俳優の所作や声の調子、人物の造形にまで及んでいるという事実に着目し、17世紀フランス演劇のテクストに目を向けて、現代ではもはや失われた17世紀フランス俳優の所作や朗誦法などを、テクストを出発点として、再び見出そうとするものである。そのためには、当時書かれた書物(雄弁術、言語、詩法、歌唱法、俳優の演技術などを扱ったもの)や絵画などが有効な手がかりとなる。

なかでも、バリーの『弁論を上手く行い、生き生きとしたものにする方法』(1679)は、当時の発音や朗誦法、所作について、重要な手がかりを提供してくれる。現代フランス語においては「ワ」と発音されるoiが、17世紀においては、「ウェ」と発音され、たとえば、「王様」roiは「ロワ」でなく、「ルルウェ」(rの音が強調されるのも特徴)であることなどが実演を交えて紹介されると、会場からは驚きの声があがった。また、発音については、語尾の子音はすべて発音され、通常の会話においては発音されないはずのe音が朗誦時には発音されるということを、実例を交えて、ラザール、モアティ両氏が披露したが、同じ文章を、現代フランス語の発音と17世紀の朗誦法とを対比させる場面で、現代フランス語版においても、つい17世紀の発音の癖が出てしまい、聴衆の笑いを誘うという一コマも見られた。

また、所作についても、たとえば「率直」、「愛情」、「支配」、「驚き」などの所作に関するバリーの記述の朗読に合わせて実演が行われて、俳優ならではの説明となった。たとえば「率直」を表す所作については、「両腕を引き離し、両手を開き、開いた両手を外側に向けます。というのも、「率直」は、魂の襞を広げるものだからです」という記述があるが、俳優の身体を用いた実例は、聴衆の関心をさらにひきつけていたように思われた。ちなみに、この所作は、現代フランス社会にも生きていて、たとえば、「自分が話していることを信用して欲しい、というのも、こうして率直に話しているのだから」、という気持ちを伝えようとして、このような所作が用いられ続けているという。

最後に、ラザール氏演出の『町人貴族』のDVDの一場面(ラザール氏はクレオント役で、モアティ氏はルイーズ役で出演)が紹介され、二日目の演劇的作品への興味がますますかきたてられることとなった。

 

詩的・演劇的作品「いかにも、私は夢見ている」

二日目の公演では、バンジャマン・ペロー氏がテオルボを、フロランス・ボルトン氏がヴィオラ・ダ・ガンバを演奏して、ラザール氏とモアティ氏が構想し演じる舞台を彩った。ドゥマシーの「ロンド形式のガヴォット」の演奏に続いて、ラザール氏が、モリエール『アンフィトリヨン』のソジ役で登場。続いてモアティー氏が、テオフィル・ド・ヴィオー『ピラムとティスベ』のティスベ役で登場。ピラムとティスベは相思相愛だが、両家は反目し合っているため、ふたりは両家を隔てる庭の壁の隙間を通して、愛を語る。ある時ふたりは夜中に待ち合わせて、駆け落ちをすることにする。ところが、ある行き違いから、ピラムはティスベが死んだと思い込み、自殺する。その姿を発見したティスベもまた後を追う。この作品を主軸にして、コルネイユの『舞台は夢』、モリエールの『ジョルジュ・ダンダン』、『病いは気から』、ラ・フォンテーヌの『牛乳売りの女と牛乳の壺』、『矢を受けて傷ついた小鳥』などを取り合わせて創り上げられた作品は、マラン・マレーやサント=コロンブ(息子)、デュビュイッソンやシャルパンティエの音楽と絶妙に響き合って、観客を引き込み、トワネットが医者の扮装をする場面では笑いが起き、ティスベが自害する場面ではすすり泣きがもれていたのが印象的であった。

なおこの講演会については、青山学院大学文学部の環境整備費の恩恵を受け、笹川日仏財団の資金援助も受けて、実現の運びとなったことを記し、ここに厚く感謝申し上げる。
(文:秋山伸子 写真:Aurélie Arnould-Laurent)

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